「死んだ人に会える神社があるの?亡くなった人に会えるお寺や場所があるなら行って会いたい!」
死んだ人に会えるなら会いたい、大事な人が亡くなったとき誰もがそう願うでしょう。
実は、亡くなった人に再び会えると言われている神社やお寺があるんです。
- 死んだ人に会える神社って?
- 亡くなった人に会えるお寺や場所はどこにある?
- 死んだ人が近くにいるサインってある?
などいろいろと気になるのではないでしょうか。
そこで今回は、死後の世界について、また亡くなった人に会える神社やお寺についても調べました。
亡くなった人の思いを知る方法や、死んだがそばにいるサインについても解説するので、ぜひ参考にしてくださいね。
死んだ人に会える神社とは?亡くなった人に会えるお寺や場所はどこ?
死んだ人に会える神社や亡くなった人に会えるお寺や場所は、どこかにあるのでしょうか。
仏教や神道の世界では、亡くなった人はすぐに生まれ変わるわけではないと考えています。
また、肉体を失ったとしても魂はあの世にあるため死んだ人に会うことも可能です。
ここからは、死んだ人に会えると話題の神社やお寺を5選紹介します。
- 湯殿山本宮神社
- 恐山
- 六道珍皇寺
- 熊野古道(亡者の出会い)
- 黄泉比良坂
また、死んだ人に会える神社やお寺に行く前に、亡くなった人のためにできることをやっておくことをおすすめします。
亡くなった人が喜ぶことを知っておけば、会いに行った時に亡くなった人に喜んでもらえるはずです。
こちらの記事では、「死んだ人のためにできること」について詳しくご紹介しているので、ぜひ参考にしてみてください。
参考:亡くなった人は見てる?亡くなった人が喜ぶことやメッセージを徹底解説!
湯殿山本宮神社
山形県には出羽三山は「羽黒山」「月山」「湯殿山」からなる山岳があり、もともと祖先の霊が鎮まる精霊の山として崇められています。
そのうちのひとつ、湯殿山近くに湯殿山本宮神社が鎮座しているのです。
湯殿山の神様は亡くなった人に合わせてくれる力を持っていると昔からいわれています。
ただ、詳しいことは分かっていません。
なぜならば、湯殿山本宮神社で体験したことは「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められているためです。
写真撮影禁止で、土足厳禁ということからもいかにこの場所が神聖な場所として崇められているか分かりますね。
恐山
青森県にある恐山も死んだ人に会えるところです。
地元では古くから「死んだら恐山に行く」と言い伝えられてきたほどで、あの世に最も近い場所とされています。
恐山の付近にはイタコがいることでも有名です。
毎年7月に行われる大祭り・10月に行われる秋詣りの際には口寄せといってイタコに霊を憑依させる神事が行われます。
「イタコを通して亡くなった人と会話ができる」と連日多くの人が集まるほどです。
ただし現在イタコとして活動している人は減ってきているため、口寄せをお願いしようと思ってもなかなか難しいかもしれません。
それでも、「亡くなった人が何を思っているか知りたい」という人は一度訪ねる価値は十分にありますよ。
六道珍皇寺
「六道さん」の名前で地元の人に親しまれている六道珍皇寺は京都市に鎮座しています。
六道珍皇寺には、亡くなった人をこの世に迎えることができる「迎え鐘」がありますが、迎え鐘はいつでも好きなときにならせるわけではありません。
毎年8月7日~10日に行われる「六道まいり」のときだけです。
迎え鐘の音ははるか遠いあの世にまで届くとされているので、亡くなった人のことを思いながら鐘をならしてみてください。
きっとあなたの近くまで来てくれることでしょう。
熊野古道(亡者の出会い)
古くから死者の世界と関連付けられているのが熊野の地です。
ここにある石畳でできた細い道は「亡者の出会い」と呼ばれ、この道を歩いてくると向かい側から亡くなった人が歩いてくるという言い伝えがあります。
亡くなった人が現れるときは、どんなに晴れていても周囲を霧が包むというから不思議ですね。
残念ながら、亡くなった人に話しかけることはできません。
声をかけようとするとすっと姿を消すのですが、一目でいいから亡くなった人に会いたい人にとっては嬉しいですね。
黄泉比良坂(よもつひらさか)
島根県松江市に黄泉比良坂(よもつひらさか)はあります。
ここは古くより、この世とあの世の境目とされている場所です。
あの世への入り口とも言われており、坂の入り口には大きな岩「千引の岩」が置かれています。
この岩は、昔イザナギ命があの世から戻ってきた際に置いたものです。
また、黄泉比良坂には「黄泉の国に届けるポスト」が設置されています。
このポストに入れた手紙は、年に一度奉納したのちお焚き上げをしてもらえますよ。
自分の気持ちを整理するためにも、ぜひあの世に近い場所で手紙を投函してみてください。
死んだ人に会えるもの?亡くなった人にまた会える?死後の世界の考え方
死んだ人に会えるものなのでしょうか。
亡くなった人にまた会いたいと思うと、死後の世界の考え方が気になるものです。
死んだ人には、会話する・触れるどころか二度と会うことができません。
それが死ぬということですが、できることならばあと一度だけでいいから亡くなった人に会いたいと思いますよね。
亡くなった人はどうなるのか、また会うことはできるのか、まずは死後の世界について詳しく紹介していきます。
- 死後の世界に関する考え方は宗教によって異なる
- 死後の世界に関する仏教の考え方
また、身近に突然亡くなった人がいると、「もしかして心残りがあるのでは」と心配になりますよね。
突然亡くなった場合、その人の魂はどうなるのでしょうか。
こちらの記事では「突然死した人の気持ちやスピリチュアル的な意味」について詳しくご紹介しているので、ぜひ参考にしてみてください。
参考:突然亡くなった人の魂はどうなるの?突然死した人の気持ちやスピリチュアル的な意味は?
死後の世界に関する考え方は宗教によって異なる
死後の世界に関する考え方は宗教によって異なります。
なぜなら、死後の世界は生きている人間が行ける場所ではないからで、「絶対にこうだ」と科学的に証明することができないためです。
そのため、死後の世界については宗教の数だけ答えがあります。
どれが正しくて間違っているか、生きている人間が判断することはできませんし、言うならば、どの考え方も正しいということです。
実際、死後の世界についてはさまざまな考え方があります。
自分の信仰する宗教あるいは、信仰していない宗教であっても自分がピンときたものを信じていれば問題ありません。
次からは、各仏教ごとの死後の世界の考え方を見ていきたいと思います。
死後の世界に関する仏教の考え方
仏教では、死後は「極楽浄土に行く」と言われていますが、生前の行いによって行き先が変わるとする考えもあります。
・「人は死ぬと極楽浄土か地獄へ導かれる」
・あの世の境目「三途の川」で裁判を受ける
・輪廻転生をして六道のいずれかへ行く
・六道とは「天上道」「人間道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」
「因果応報」という言葉がありますが、これは「自分がしたことは全て自分に返ってくる」というものです。
主に悪いことが起きたときに使われる言葉ですよね。
ところが、実は「良いことも含めて全て自分に返ってくる」というのが仏教の本当の教えといわれています。
極楽浄土か地獄か
仏教では、自分が死ぬ前にした行いは良いことも悪いことも全て死後の世界に反映されるんですね。
生きている間良い行いをした人は、彩雲に乗ったお釈迦様がお迎えにきてくださり極楽浄土へ向かうことができます。
反対に、悪い行いをした人は足をとられ地獄におちていくことに。
仏教の考えでは生前良いことをしていれば「極楽浄土」、悪い行いをしていれば「地獄」です。
良いことも悪いこともした人は、生まれ変わるために自分の足で歩いて長い旅に出発します。
「悪いことをしたら地獄に落ちるよ」と言うのは、この仏教の考え方からきているものでしょう。
三途の川で裁判を受ける
仏教ならではの死後の世界の考え方に、三途の川があります。
三途の川はあの世とこの世の境目にある川で、死後旅をする人は必ず渡らなければいけません。
生きていたころの行いが反映されるのは、ここでもあります。
一方、地獄に落ちた人を待ち受けるのは、10人の大王たちによる裁判。
生前の罪を細かく裁判にかけられるのです。
地獄の王様というと閻魔大王が有名ですが、閻魔大王はこの10人の大王のうち5番目の裁判を担当しています。
六道のいずれかに生まれ変わる
裁判は長い年月をかけてじっくりと行われ、仏教の中でも宗派によって裁判の日数は変わります。
四十九日に、生きている人間が亡くなった人に手を向けてあわせるのは、裁判での罪が軽くなるためとされているのは興味深いですよね。
裁判の結果により、亡くなった人は「六道」と呼ばれる6つの世界のどれかに生まれ変わります。
六道とは「天上道」「人間道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」で、天上道は六道の中では最も幸せとされていますが、極楽浄土とは別です。
極楽浄土はあくまで、裁判にかけられることなくお釈迦様に迎えに来ていただけた人だけが行ける場所なんですね。
そして輪廻転生を繰り返すというのが、仏教の死後の世界の考え方です。
仏教では死後六道のいずれかに行き、輪廻転生を繰り返す
死後の世界に関する神道の考え方
神道においても、死後は生まれ変わると考えられています。
仏教と同じ考え方ですが、異なる点は神道では魂と肉体は別々になるということです。
神道では、人間の肉体はあくまで仮の入れ物。
本体は魂であり、魂は肉体が滅んだあとに天地万物を生み出す「産霊神」のもとにいき、生まれ変わるための修行を行います。
そして神様になるとされています。
また、神道にとって死は、この世の修行によって穢れがついているため、お葬式は穢れた肉体や魂を神様の力によってきれいにする目的もあるんです。
実は、神道による死後の世界の考え方はあまり説かれていないのです。
死後の世界はあくまで神様のものであり、神道において生きている人間が関与するのはおこがましいのかもしれません。
神道では死後魂と肉体は別々になり、「死」は穢れとも捉えている
死後の世界に関するキリスト教の考え方
死後の世界に関する考え方は、キリスト教の中でもカトリックとプロテスタントで変わります。
カトリック・プロテスタントはキリスト教による宗派の違いがあるのです。
日本の仏教にも宗派がいくつかありますが、カトリックとプロテスタントは結構考え方が異なっています。
カトリックでは、亡くなった人はまず天国・地獄・煉獄のいずれかに行くための裁判にかけられるのです。
<カトリックにおける死後の世界>
- 死ぬと裁きが下され進む場所が決まる
- 「天国」「地獄」「煉獄」の3つの道
- 「煉獄」は罪を持つ魂を浄化させる
煉獄では火の訓練を受けなければいけませんが、地獄に行くより苦しくはありません。
というのは、煉獄の火には人々が犯した罪を浄化させる力があるからです。
身も心もきれいにした状態で、人々は最後の審判にかけられ天国に行くか地獄に行くか決められるというわけです。
身も心もきれいな状態というのは、天国に行くのには最適な状態。
多くの人をできるだけ天国に行かせてあげようというのがカトリックの考えなのかもしれません。
一方、プロテスタントでは煉獄という考え方はありません。
<プロテスタントにおける死後の世界>
- 人間は生まれた時から罪を背負っている
- ほとんどの人が死んだあとは地獄に行く
- 生前神を信じていた者だけ天国へ進める
プロテスタントでは天国か地獄の二択しかなく、どちらに行くかは最後の審判で決められます。
天国や地獄に行ったあとどうなるかについて、キリスト教ではあまり詳しく説いていません。
そう思うと、仏教はずいぶんと詳しく死後の世界を説いているんだと分かりますね。
死後の世界に関するその他の宗教の考え方
死後の世界に関する考え方は他にもいろいろとあります。
イスラム教、ヒンドゥー教、ユダヤ教の3つの宗教の概要をみてみましょう。
・イスラム教
…「この世の終末」まで墓の中で眠り続ける
…復活した際に裁きを受け天国か地獄へ
・ヒンドゥー教
…死んだあと幾度となく生まれ変わる
・ユダヤ教
…「人は死ぬと土へ還る」
…生まれ変わりについて明確な思想はない
上記のように、人が死んだあと肉体から解き放たれた魂がどの世界へ進むかの考えは、宗教によってさまざま異なります。
例えばイスラム教でみてみると、「死後の世界は人生の通過点のひとつ」としています。
今生きている世界(仏教でいうこの世)は仮の世界であり、来世(あの世)が本当の世界なのです。
ですので、死ぬことは本当の世界に行くために必要なことと考え、あまり死を悲観する人が少ないとされています。
仏教ともキリスト教とも違った考え方のイスラム教ですが、仏教とキリスト教との共通点もあります。
それは、「来世に天国にいくか地獄にいくかは生前の行いで決められるということ」「神様の審判によって決められる」点です。
死後の世界はないと考える人もいる
宗教による死後の世界の考え方を紹介しましたが、その宗教を信仰している人が全員同じ考えをしているとは限りません。
「死後の世界はない」と考える人も、当然ですが大勢います。
- 科学的に立証されないものは信じない
- スピリチュアルや宗教には興味がない
- スピリチュアルが苦手、好きではない
死後の世界は、科学的に証明されていないことが理由です。
もちろん、死後の世界がないことを証明する手立てもないため、どちらの考えが正しいなんてことはこの先もずっと答えは出ないままでしょう。
人は死んだら無になるというのが、死後の世界はないと考える人たちの考えです。
無になるので、当然天国も地獄も極楽浄土という意識もありません。
もちろん輪廻転生もありません。
無になるということは何もなくなるということであり、どの人間も漏れなく無になるということなので、ある意味完全な平等ではないでしょうか。
死後の世界については、人によって考えがかなり異なるということですね。
死んだ人に会える方法!亡くなった人と話をしたり思いを知るには?
死んだ人に会える方法は他にもあるのでしょうか。
亡くなった人と話をしたり思いを知るには、その能力を持った人を頼ることをおすすめします。
「もう一度だけ話がしたい」そう思ったとき、残された人はどうすればいいのか、分からなくなりますよね。
ここからは、死んだ人と話がしたい・亡くなった人の思いを知りたいときの方法を紹介していきます。
- 自己流で霊に語りかけるのは危険
- 信頼できるイタコや霊媒師に依頼する
- 電話占いなら気軽に霊能者に相談可能
また、上記のような方法を取る前に、なんとなく自分の周りに亡くなった人の存在を感じる人もいますよね。
そんな時、亡くなった人が何かを伝えたいのでは?と気になるものです。
亡くなった人があなたのそばにいるサインを知っておけば、霊媒師や霊能者などの専門家に、具体的な相談がしやすくなります。
こちらの記事では「亡くなった人からのサイン」について詳しくご紹介しているので、ぜひ参考にしてみてください。
参考:亡くなった人があなたのそばにいるサインとは?亡くなった人は近くにいる?そばにいる合図!
自己流で霊に語りかけるのは危険
ネットや本を見れば「霊話す方法」なんていうのが出てきますが、自己流で霊に語りかけるのはおすすめしません。
なぜなら、霊と対話するということは危険を伴うからです。
この世に生きる人間とあの世にいる霊は本来であれば交わることはないので、住んでいる世界が違うというと分かりやすいかもしれません。
そして、霊というのは必ずしもいい霊ばかりではないんです。
人間にも良い人悪い人がいるように、霊の中にもこの世に未練や恨みを持って、生きた人間に悪意を持つものもいます。
あなたが語りかけた霊はもしかしたら悪霊かもしれません。
霊感のない人は、自分が語りかけた霊が本当に自分が話したい相手かどうか判断はできないんです。
そう言った悪霊に語りかけると、取り憑かれたり最悪あの世に連れていかれることも。
また、本当に話しかけたい霊であったとしても、話す内容によっては「あの世に連れていかれる」リスクもあります。
例えば「あなたがいなくて悲しい。辛い」といったネガティブな感情で考えてみましょう。
亡くなった人は、残された人が悲しんでいることに耐えられなく「そんなに悲しむくらいなら」と一緒に連れて行こうとすることがあるのです。
一般の人は、トラブルが起きたとき対処する術を知りません。
霊感が強くない人、正しい方法で霊と対話してない人は、以上のことから、自己流で霊に語りかけるのは危険なためやめておきましょう。
自己流で亡くなった人と会話しようとするのはやめましょう!
信頼できるイタコや霊媒師に依頼する
亡くなった人と話したいと思ったら、信頼できるイタコや霊媒師に依頼しましょう。
イタコや霊媒師とはもともと霊感が強く、さらに霊と対話できるよう修行や勉強をしてきた人たちです。
霊との対話方法やいざというときの対処方法をきちんと知っている、いわば霊と人間の架け橋のような存在です。
ただ、イタコや霊媒師というのは、どこか遠い世界の話でなかなか身近に感じることはできません。
ですので、依頼といっても誰にお願いすればいいか分かりませんよね。
ここで気をつけてほしいのは、中には人を騙すようなイタコや霊媒師もいるということ。
霊が目に見えない存在であることを利用し、本当は霊感なんてないのにあるふりをする人もいるんです。
また、霊感があったとしてもその力を金儲けに使う人もいます。
「亡くなった人と話したい」という願いが叶ったとしても、びっくりするような金額を請求されてしまうので、悪徳なイタコや霊媒師には注意しましょう
ですので、イタコや霊媒師に依頼するなら信頼できる人を選ぶのが大切です。
知人や友人に紹介してもらったり、ネットで選ぶならきちんと口コミをチェックしてください。
良い口コミだけでなく悪い口コミも確認するのがポイントです。
イタコや霊媒師との相性もあるので、「なんだかこの人いいな」とピンときた人を選ぶのもありです。
電話占いなら気軽に霊能者に相談可能
「対面で見てもらうのはちょっと緊張する」「遠くて行けない」人は、電話占いを利用するという手もあります。
電話占いというと、恋愛や人生の相談をするイメージがありますがそれだけではありません。
霊感を持つ霊能者を選べば、亡くなった人のことも見てもらえますし、自宅にいながら有名な霊能者に相談ができます。
時間や場所を選ばないので、忙しい人でも気軽にお願いできますね。
電話占いで霊能者を選ぶときも大事なポイントは同じで、信頼できる霊能者を選ぶことです。
霊能者によって得意とする霊との対話方法があります。
電話占いのサイトで、事前に霊能者のプロフィールや口コミをよく確認しておいてくださいね。
死んだ人に手紙を届けてもらえる!大聖寺の「緑のポスト」
京都府舞鶴市にある大聖寺には「死んだ人に手紙を届ける」という緑のポストが設置されています。
元郵便局員だった檀家さんから寄進されたもので、実際に緑のポストに投函された手紙が集配されることはありません。
最初はただのオブジェだったのです。
住職が中に入っていた「亡き子供に宛てた手紙」を発見したことをきっかけに、「死んだ人に手紙を届けてもらえるポスト」に変化しました。
以来、全国各地から緑のポストに手紙を入れるために大勢の人が大聖寺を訪ねてくるようになったのです。
緑のポストに投函された手紙は、春と秋の年に2回「お焚き上げ」という形で亡くなった人に届けられます。
事前にではなく、その場で手紙を書くのも可能です。
お寺の中には筆記用具や便せんといった手紙をかくための道具が一式用意されています。
亡くなった人へ手紙を書くということは、自分の気持ちと向き合うということです。
大事な人が亡くなってどうも前に進むことができないという人は、自分のためにも亡くなった人に手紙を書いてみませんか?
手紙を書き終わってポストに投函するころには、きっと気分も前向きにすっきりしているはずです。
亡くなった人に手紙を書いて、大聖寺にある「緑のポスト」に投函するのもおすすめ
死んだ人が会いに来てる!亡くなった人がそばで見守っているサインは?
残された人が死んだ人のことを気にかけるように、死んだ人もあなたのことを気にして側にいることがあります。
ただ、死んだ人はあなたに直接話しかけることはできません。
そのためさまざまな手を使って「ここにいるよ」というサインを送ってくるんですね。
ここからは、死んだ人があなたを見守っているサインを4つ紹介します。
- 故人が夢に現れる
- 遺品がいきなり壊れる
- 電化製品が故障する
- 生き物が寄ってくる
故人が夢に現れる
亡くなった人が夢に出てくること自体はめずらしいことではありません。
しかし、夢の内容がやけにリアルだった場合、亡くなった人が近くにいるサインである可能性が高いです。
例えば、夢の中で温度やにおいを感じたり、亡くなった人に触れた感覚がある場合は近くにいるといえるでしょう。
また、はっきりと亡くなった人からのメッセージを受け取っている場合も同様です。
亡くなった人が夢で何を言っていたか、自分に何を伝えていたか。
すぐにその場では理解ができないかもしれません。
ですが、時間が経ってから「夢の中で言っていたこと」に気付くときがくるでしょう。
夢の中で受け取ったメッセージを忘れてしまわないよう、夢の内容はメモしておくのをおすすめします。
また、亡くなった人が夢にでてきても、なにもしゃべらない時もあります。
そんな時は「何が言いたかったんだろう」「なにか心残りがあるのかも」と気になるものです。
こちらの記事では、「亡くなった人が夢でしゃべらない意味」について状況別にご紹介しているので、ぜひ参考にしてみてください。
参考:亡くなった人の夢でしゃべらない意味とは?無言や無表情など状況別に解説!
遺品がいきなり壊れる
遺品というのは、亡くなった人がずっと使っていたり大事にしていたものです。
遺品が何の前触れもなくいきなり壊れるときは、亡くなった人からの「ここにいるよ」というメッセージが込められています。
物には持ち主のエネルギーが宿るためなんです。
遺品が壊れるとどうしたって亡くなった人のことを思い出しますよね。
そのため遺品が壊れるのは「私に気付いてほしい」という亡くなった人の思いが強い証拠とも言えるでしょう。
遺品がいきなり壊れるとなんだか不吉に感じるかもしれませんが、そんなことはないので安心してくださいね。
電化製品が故障する
亡くなった人が近くにいると電化製品が故障することがあります。
これは亡くなった人のエネルギ―が非常に強いためで、電化製品は非常に繊細だからエネルギーの影響を受けやすいのです。
亡くなった人のエネルギーに耐えられなくなって故障してしまいます。
また、故障するとまではいかなくても、電気が勝手に点いたりリモコンが効かなくなるといったこともあります。
これらも霊のエネルギーによるものと考えていいでしょう。
霊からすると電化製品の電波は非常に操りやすいものであり、分かりやすい不具合を起こして近くにいることをアピールすることもあるんです。
生き物が寄ってくる
普段はそんなことがないのに、なぜか生き物が寄ってくるときも近くにいる可能性があります。
もしかしたら、その生き物は亡くなった人かもしれません。
亡くなった人は姿かたちを持たないため、しばしば他の生き物の体を借りてあなたの近くにくることがあります。
特に蝶があなたの周りをヒラヒラと舞うことがあれば、よく注意して見てください。
昔から、蝶は亡くなった人の化身とされる虫です。
蝶の姿を借りてあなたに会いにきているのかもしれませんよ。
死んだ人が喜んでくれる方法は?故人に満足してもらえる日々の送り方
残された人たちは、死んだ人が喜んでくれる日々を送ることが大切です。
次のことを心がけていきていくようにしましょう。
- 残った人が幸せに生きる
- たまに思い出す
残った人が幸せに生きる
亡くなった人が一番望んでいることは、残っている人が幸せに生き続けることです。
私たちが亡くなった人に対して「どうか安らかに過ごせていますように」と願っているように、亡くなった人の願いも同じ。
「自分がいなくてもどうか幸せに生きて欲しい」と願っているんです。
亡くなった人はあの世からこの世の様子を見ることができるため、自分の死が原因で残った人が悲しんでいるのを見るのはとても辛いことです。
生きていれば慰めたり声をかけることもできます。
しかし、自分はこの世の生き物ではないためどうすることもできないからで、なんとか夢などに現れるわけです。
ですから、残された人たちは亡くなった人のためにも前を向いて生きていきましょう。
「自分たちだけ幸せに生きてもいいの?」と思うかもしれませんが、それが亡くなった人の一番の望みです。
たまに思い出す
「たまにでいいので自分のことを思い出してほしい」亡くなった人のふたつめの願いです。
人は誰からも忘れ去られたとき、二度目の死を迎えると言われています。
逆を返せば、残された人たちが覚えている限り人は永遠に死ぬことはありません。
心の中で生き続けることができるんです。
亡くなった人が二度目の死を迎えることのないよう、時々でいいので亡くなった人のことを思いだして手を合わせてあげてくださいね。
まとめ
死んだ人に会える神社について、また死後の世界はどうなっているのかまとめました。
- 突然死は生前に定めた寿命
- イタコや霊媒師、霊能者に頼る
- 電話占いで霊能力の占い師に相談
- 夢や家電が壊れたら故人のサインかも
- 死を受け入れ前向きに生きることが大事
- 遺品を大切にし供養を続ける
また、日本には死んだ人に会えるという神社やお寺がいくつもあります。
- 湯殿山本宮神社
- 恐山
- 六道珍皇寺
- 熊野古道(亡者の出会い)
- 黄泉比良坂
「どうしても亡くなった人に会いたい」と思っているなら、ぜひ一度訪れてみてください。
行くのが困難な人は、電話占いで霊能力のある占い師に相談することをおすすめします。